大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 平成3年(タ)66号 判決

原告

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

安部尚志

石渡一史

宇治野みさゑ

浦田秀徳

大神周一

大谷辰雄

原田直子

平田広志

古屋勇一

古屋令枝

三溝直喜

美奈川成章

用澤義則

矢野正剛

山本一行

右訴訟復代理人弁護士

渡邉博

被告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

村瀬武司

主文

一  原告と被告との間の平成元年一月一一日那覇市長に対する届出によってされた婚姻が無効であることを確認する。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文と同旨。

第二事案の概要及び争点

一事案の概要

原告と被告とは平成元年一月一一日那覇市役所首里支所において婚姻届出(以下「本件届出」という。)をしたが(〈書証番号略〉)、原告は、右届出時に原・被告間には婚姻意思が存在していなかったとして、平成三年三月二八日、本件婚姻が無効であることの確認を求めて福岡家庭裁判所に調停申立をし(〈書証番号略〉)、同年六月二六日右調停が不成立となったため(〈書証番号略〉)、本件訴えを提起した(以上は、〈書証番号略〉により明らかである。)。

二争点

1  婚姻届出意思の存否

2  届出時における「婚姻する意思」の存否

3  「婚姻する意思」の追認(無効行為の追認)の成否

第三本件の事実関係・経緯等について

一当事者及び「合同結婚式」に至るまでの経緯について

1  原告(以下摘示の証拠のほか、〈書証番号略〉、原告本人)

(一) 原告(昭和三六年一〇月七日生)は、歯科衛生士の専門学校卒業後仙台市内の歯科医院に勤務していたが、昭和五九年二月ころ、宗教法人世界基督教統一神霊協会(以下、「統一協会」又は「協会」という。)の教義に触れ、「修練会」や「トレーニング」と称する協会主催の各研修に参加したり、協会に献金したり、あるいはその伝道活動に加わるなどしていたが、同年八月ころ勤務先の歯科医院を退職して、協会のために二四時間活動を続ける、いわゆる「献身」をするようになった。

献身後も協会の研修を受けて伝道活動を続けたほか、協会の指示に従い、仙台を中心とした東北地方の各地(福島、青森、岩手等)で、印鑑や化粧品等の訪問販売に従事していた。

原告の家族は、原告が協会の会員として活動することに反対し、原告が献身後家を出て所在を隠したため、警察等に相談するなどしてその行方を探し、救出したいと考えていた(〈書証番号略〉)。

(二) 原告は、昭和六三年一〇月二七日に、協会の教義上「祝福を受ける」ことを意味すると教えられていた「合同結婚式」に参加できると知らされ、翌二八日には、結婚の相手方(協会においては「相対者」という。)が被告であると知らされたうえ、被告の氏名、生年月日、所属協会のみが記載されたテープ状のメモを渡された。なお、原告は、以前に協会に写真を送っており、相対者との組合せはそれで決められたと聞いていたが、原告自身は結婚式前に被告の写真を見ることはなかった。

2  被告(以下摘示の証拠のほか、〈書証番号略〉、被告本人)

(一) 被告(昭和三九年三月三日生)は、沖縄大学四年在学(〈書証番号略〉)中に知人の紹介で統一協会に入信し、昭和六一年七月に献身した。

その後、沖縄、福岡、東京の各地で研修を受けたり、協会の指示に従って物品の訪問販売や伝道活動をしたりしていたが、本件「合同結婚式」当時は、福岡市内で伝道等の活動をしていた(〈書証番号略〉)。

(二) 被告は、本件「合同結婚式」の約一年前に「合同結婚式」参加についての面接を受けていたが、同結婚式の五日程前に統一協会より式に参加することとなったとの連絡を受け、その二日後、その結婚の相手が原告であることのほか、その氏名、出身地、血液型などを知らされた。

二「合同結婚式」への参加等

1  原告らは、昭和六三年一〇月三〇日、韓国内の協会傘下企業の工場で、約六五〇〇組のカップルについて行われた「合同結婚式」(協会では「六五〇〇双」と称する。)に冒頭から参加する予定であったが、原告の韓国到着が遅れたため、一日目に行われた「聖酒式」、「合同結婚式」の儀式には間に合わず、それには被告のみが原告の写真を持って参加した。

原告は、遅れて右「合同結婚式」場に着き、そこで初めて被告に出会った。その後、協会から支給された式服(ドレス)に着替えて「合同結婚式」の儀式後の演芸から参加し、協会の文鮮明教祖の言葉を受けた。なお、その際の、被告とともに韓国に定住して統一協会の活動に従事する、いわゆる「コリア人」に指名されたと聞かされた。

原告らは、翌日「蕩減棒」といわれる儀式を済ませ、二人で記念写真を撮り(〈書証番号略〉)、さらに、協会幹部の前で、渡韓前に協会から支給されていた指輪の交換を行った。その間に、原告らは、お互いの活動歴や家庭状況について語り合うことができた。

2  原告と被告は、式後も、同じく「コリア人」と指名された他の協会員とともに韓国に留まることになり、協会幹部によりそのための研修を受けた。その研修の間、原告と被告は、食事のときなど二人が一緒になる機会もあったが、宿舎である工場やその後配属された協会では他の十数人の信者らと共同生活をし、寝泊まりは男女別々であった。

三婚姻届出までの経緯

1  原告は、協会の指示により、昭和六三年一一月一一日ころ帰国したが、その際、翌年一月か二月に再渡韓すること、それまでに韓国での活動資金として一〇〇万円から一四〇万円を用意するよう指示を受けた。

被告も相前後して帰国し、原告は仙台に、被告は福岡に帰り、それぞれの協会支部で活動を再開した。

原告は、昭和六三年一一月一三日、仙台の協会施設で「祝福」すなわち「合同結婚式」の意義とその後の「聖別期間」について講義を受けた。それによれば、「合同結婚式」の後少なくとも三年ないし三年半は婚約期間(「聖別期間」)といって、相対者と同居及び性関係を持つことができない期間があり、しかも右期間内に統一協会内で実績を積まなければ、さらにその期間が延長されることもあり、また、右期間経過後も協会の指示を待って同居等に入るというものであった(〈書証番号略〉)。

そのころ、原告の家族は、協会に対し、原告の救出を考えていると発言し、それが協会を通じて原告にも伝わっていた(〈書証番号略〉)。

2  原告は、同年一二月中旬ころ、「コリア人」のリーダーから、翌年一月中旬ころ渡韓すること、活動資金を用意すること、それまでに婚姻の届出を済ませておくことなどの指示を受けた。その際、原告は、婚姻届を出せば、家族による救出に対して対抗手段を取りやすくなり、また、韓国で万一事故が起きた際にも家族などの意思によるのではなく、協会内部で相続問題や事故処理を行うことができる等の便宜のために届出をするものと聞かされた。被告も、そのころ、協会幹部から再渡韓までに婚姻の届出をするように指示(助言)を受けた。

3  ところで、協会においては、「聖別期間」及び「三日儀式」(性関係を伴う儀式)の趣旨や手続等について説明を行う「家庭修練会」という研修が行われていたが、これは、「聖別期間」経過後同居直前に行われ、その上で婚姻届出をして肉体関係を結ぶのが通常であった。ところが、原告ら「コリア人」に対しては、「聖別期間」経過前の昭和六四年一月五日、六日右「家庭修練会」が開催され、原告は、「巡回師」から「聖別期間」及び「三日儀式」について詳しい説明を受けるとともに、韓国に出発する前に「三日儀式」を行うよう指示を受けた(〈書証番号略〉)。原告が「三日儀式」についての話を聞いたのはこのときが初めてであった。

さらに、原告は、右修練会において、「巡回師」から「氏族復帰」(家族に統一協会について説明をして理解を求めるとともに、家族から金員を出させ、これによって氏族全体を救うことになるとの教義)のために、原告の家族に協会について説明し、今後韓国で生活する資金を出してもらうこと、その目的でそれぞれの実家に行く場合には二人で行くこと及びその際に婚姻の届出を済ませておくようにとの指示を受けた。被告も、原告同様、そのころ、別の場所で行われた「家庭修練会」において、「巡回師」から、「合同結婚式」に参加した後も女性が三三歳になるまでは「聖別期間」があり、それまでは同居ができないこと及び「三日儀式」について説明を受けるとともに、できれば渡韓前に「三日儀式」を行うよう指示を受けていた。なお、被告もまた右に際し婚姻の届出が前記のような目的を持つものであるとの認識を持っていた。

そこで、原告と被告は、協会からの右指示に従い、電話で連絡を取り合って、被告の本籍地である沖縄県で婚姻の届出をすることに決めた。

4  被告は平成元年一月七日、沖縄県に帰り、原告は翌八日に訪沖した。なお、式後韓国から帰国して、この時沖縄で出会うまでの約二か月の間、二人は直接には一度も会ったことはなく、手紙や電話でやり取りをしていた程度であった(〈書証番号略〉)。

原告は、右訪沖の際、あらかじめ原告所属の協会の上司に承認として署名押印をしてもらって準備した婚姻届出用紙を持参してきていたため(〈書証番号略〉)、被告はそれに署名押印するとともに、被告所属の協会の上司に証人として署名押印をしてもらって婚姻届を完成させた。

そして、原告が被告の母親に会った後、同一月一一日、那覇市役所首里支所に二人で赴き、本件婚姻届を提出した(〈書証番号略〉)。なお、原告と被告は、右沖縄県に滞在中も、協会のホーム内の別々の場所で寝泊まりし、原告が被告の実家に泊まったこともあったが、その際も寝所を別にしていた。

なお、被告が知っている協会員で、被告らと同じ「六五〇〇双」に参加し、かつ「コリア人」と指名された相対者らの中には、原告らと同時期に(昭和六三年一二月二六日から翌平成元年二月二〇日(再渡韓する直前)までの間)婚姻の届出を済ませた例が他にも複数ある(〈書証番号略〉)。

5  原告らは、婚姻届を提出した後、被告の父に、右届出をしたことを報告し、七万円ほどのお金を出してもらった。

そして、原告らは、同月一三日まで沖縄県に滞在した後(〈書証番号略〉)、すぐに岩手県の原告の実家に赴き、原告の両親に対し、沖縄県で入籍を済ませ、再度渡韓する旨を話した。

原告の両親は、原告に対し、結婚を認めないと言いつつ、将来原告を説得して救出したいと考えていたのであえて追い返すこともせず、観光地に案内し(〈書証番号略〉)、韓国での活動資金として約四万円を渡した(なお、原告の実家でも原・被告は寝所を別にした。)。

以上を終えて、原告は仙台市に、被告は福岡市に帰り、それぞれ協会の活動に従事した。

四原告の協会脱会に至る経緯

1  平成元年一月二〇日ころ、原告と被告は、それぞれ渡韓し、ソウル市に赴いたが、ソウル市内の別々の協会に配属され、協会傘下の新聞である世界日報の配達や購読者の獲得活動等に従事した。

原告と被告は、同居は勿論のこと夫婦らしい生活をすることもなかったが、一か月に二、三回程度二人で公園や協会で会ったり、それぞれの知り合いの開いたパーティに一緒に参加したり、信者ら多勢と登山したりする程度の交際を続けた(〈書証番号略〉)。

2  ところで、平成元年六月ころ、原告らは、韓国統一協会の「巡回師」から「三日儀式」を済ませていない者は韓国にいるうちに済ませておくようにと指示された。そのため、二人は、同年七月一四日から一六日までソウル市近郊のホテルにおいて、協会の定める形式に則った「三日儀式」を行って初めて肉体関係を持ち、その旨の報告書を協会に提出した(〈書証番号略〉)。

それ以後は、原告と被告は、二人で会ったり、また、それぞれの知人宅を訪問したりした。その訪問の際に、知人らには夫婦として挨拶したこともあった(〈書証番号略〉)。

3  原告は、平成元年八月二日ころ帰国して、東京で研修を受け、福島市で印鑑の販売等に従事し、被告は、同月下旬に原告と別に帰国して福岡市で従前の仕事に復帰した。

なお、当時、各協会員には、協会から月額一万五〇〇〇円の小遣いと一日数百円の昼食代が支給されるのが通常であった(〈書証番号略〉)。

帰国後、原告と被告との間では、互いにその活動を励ます手紙、クリスマスや誕生日を祝うカード、贈り物の交換などは続けたが、直接会うことはなかった(〈書証番号略〉)。また、原告は、被告の両親にも挨拶状や弁当箱入れの贈り物をしたりしていた(〈書証番号略〉)。

4  平成二年七月一五日ころ、原告は親戚の法事に呼ばれて両親のもとへ帰った際、両親らと一か月以上にわたり話し合いを続けた結果、同年九月になって、協会を脱会することに決め、同月八日協会側に脱会届書を郵送した(〈書証番号略〉)。

被告は、原告から法事に行くとの手紙を受け取った後、その音信が途絶えたため、同年七月二三日ころ、原告の実家を尋ねたり、捜索願いを出すなどして所在を探したが、行方が分からず、福岡市に帰った。

五離婚調停申立及び本訴提起に至る経緯

1  原告は、脱会後、弁護士を通じて、平成二年一一月二九日付で被告に協議離婚を求めたが、被告の応答を待つ間に婚姻そのものをしていないという気持ちになり、離婚では納得できないと思うようになった。そこで平成三年三月二八日、本件婚姻が無効であるとの確認を求めて福岡家庭裁判所に調停申立をした。

被告は、当初協議離婚の申出に対しては、原告の意思を確かめない限り同意できないと回答したが、さらに婚姻無効を求める右調停の申立に対しては、納得できないとし、離婚の調停ならば応じる意向を示した(〈書証番号略〉)。

2  そこで、被告代理人は、平成三年四月二五日の右調停の冒頭、調停委員を介して原告に対し、離婚調停として進めて欲しい旨申し入れたが、原告にこれを拒否されたため、逆に被告に対し「両者が別れるとの結果については変わりがないので婚姻無効を認めてはどうか。」と説得したところ、被告もその気になり、お互いに婚姻が無効であったことを確認する審判を受けることにいったんは合意した。しかし、同年六月二六日付けで婚姻無効調停事件については不調となった(〈書証番号略〉)。

3  そこで、原告は、改めて婚姻無効の確認を求めて本件訴えを提起した。被告は、前記のとおり調停ではいったんは無効を認めていたものの、やはり婚姻が無効ということに納得がいかないとして、原告の主張を争っている。

第四争点に対する判断

一婚姻の届出意思(争点1)について

1  届出意思について

本件婚姻意思の有無について、原告は、本件届出当時、原告が協会のいわば洗脳ともいえる強い支配下にあったから、婚姻届出の意思すら有していなかったと主張し、被告は、原告の右届出意思はその自由意思によるものと主張する。

2  前記認定の事実によれば、原告は、協会の研修に自ら参加して入信し、家族の反対や説得を押し切り、また、当時からすでに協会に関して出版物もあり、協会に対しては賛否双方の情報源があった(〈書証番号略〉)にもかかわらず、熱心な信者となったものであること、原告は、本件届出前にも自分の家族が協会に反対していることを知らされていたにもかかわらず、被告と相談して二人で沖縄県に赴いて婚姻の届出をすることを決めたこと、原告は、届出用紙を自ら事前に用意し、これに上司に証人として署名押印してもらって被告に持参していることに照らせば、本年婚姻届出をするにあたって協会からの指示があったものの、原告は、右の一連の過程や自己の行動を十分認識しつつ右届出をしたものと推測され、その自由意思が否定されたといえるほどその意思が協会の強い支配下にあったものということはできない。

3  したがって、原告は、本件届出に際し、それが婚姻届と認識しつつ、その自由な届出意思のもとに本件婚姻届出をしたというべきである。

二届出時における「婚姻する意思」の存否(争点2)について

1  当事者の主張

(原告の主張)

婚姻が有効に成立するためには、当事者に実質的婚姻意思があることが不可欠である。右意思とは「習俗的標準に照らして、その社会で一般に夫婦関係と考えられる男女の精神的肉体的結合」関係を設定する意思である。そのような関係にあることを具体的に示すものは、相互の性の独占、共同体の形成、相互扶助の関係である。加えて、婚姻関係は、「婚約の意思」すなわち「将来夫婦関係になろうという意思」とは異なり、「今直ちに無期限に夫婦関係を成立させる意思」でなければならない。

ところが、本件では、届出時において、原・被告とも右のような実質的婚姻意思を有していなかったことは、以下に述べるところから明らかである。

(一) 原告と被告は、本件届出前に「合同結婚式」に参加している(実際には、原告は式の重要部分に参加していない。)が、これは協会が決めた初対面の相手と宗教上の儀式を行ったにすぎず、また、その後一定期間夫婦として共同生活をしてはならず、期間経過後も協会の指示を待たなければならないという前提があり、社会通念上の結婚式といえるものではないから、式を通じて実質的婚姻意思が形成された余地もない。さらに、式後、届出するまで、当事者間に婚姻関係を窺わせる特別な関係の進展もない。

(二) 本件届出の真の意図は、原・被告らの一方が協会から脱退するよう家族から働きかけられた場合や、人身事故等が生じた場合の処理を考慮して、協会の指示により行われた便宜的なものである。届出後も、協会の教義に従って一定期間夫婦としての共同生活に入らないことを前提としていたものである。したがって、本件届出は、今、直ちに夫婦関係を設定するという実質的婚姻意思に基づいてされたものではない。

(三) 婚姻届出後、原・被告は別々に生活していたこと、短期間肉体関係を持ったが、これも宗教上の教義に則って行ったにすぎないこと、二人とも婚姻生活を維持するに足りる経済的な生活基盤もないこと等の事情からも、届出当時、実質的婚姻意思が存在していなかったことは明らかである。

(四) 婚姻無効調停においても、被告は婚姻意思はなかったことを認め、婚姻を無効とすることに同意していた。

(被告の主張)

(一) 民法上、婚姻に実質的婚姻意思が必要であること及びその内容についてはほぼ原告の主張のとおりである。ただ、婚姻意思は、婚姻届の際、夫婦としての共同生活設定の意思を相互に有していなければならないものの、婚姻の理念に反しない限り、届出後直ちに夫婦としての共同生活を設定・実施しなければならないものではない。宗教上、信仰上の理由で一定期間同居せずその期間後に同居を開始することを合意する場合も婚姻意思としては有効である。

(二) そして、本件では、次のとおり、原・被告相互に有効な婚姻意思があったということができる。すなわち、

(1) 原告と被告には、「合同結婚式」への参加の意思決定に関し選択の道が与えられていたが、同一信仰を持つ者を婚姻の相手方とすることを希望し、信者同志で一対となって「合同結婚式」に参加し、一連の儀式も済ませた。

(2) そのうち、原告と被告とは、手紙等により、相互に夫婦として婚姻したい旨を表明し合うようになり、本件婚姻届の際には、将来夫婦としての共同生活設定の意思を持って届出をしたのである。

(3) その際、やはり一定期間経過後に共同生活をすることが前提であったが、一定期間を置くことは当事者内部の問題であって当事者が自由に合意し得るものであり、また、その期間は将来幸福な家庭を築いていく準備期間であり、期間経過後は直ちに共同生活を始めうるものであったから、そのような合意も実質的婚姻意思として認められる。

(4) なお、本件婚姻の届出には、信者脱退の働きかけ等に対する措置をするにあたって便宜であるとの目的もあったが、それは実質的婚姻意思に付随したものにすぎない。

(5) 婚姻届出後も、原・被告間に実質的婚姻意思に伴う生活状況があった。すなわち、原告と被告は、右届出後は、知人の前においても夫婦として振る舞い、将来幸福な家庭を築くための準備期間として一定期間を置くことを合意のうえ、相互に手紙や贈り物を交わし、また、双方合意のうえ、夫婦としての肉体関係を持った。

(三) 被告は、原告の当初離婚の申し入れに対して、これを拒否し、原告が被告のもとに帰ってくることを願っていた。婚姻無効の調停においては、届出に付随的な目的もあったことから、代理人の説得を受け、一時婚姻無効を認めたにすぎない。

また、本件は、原告が信仰を失ったことにより、被告との離別を決意したために、本来予定されていた将来夫婦としての共同生活を不能にしてしまったものであるから婚姻無効ではなく、事情の変更に伴う婚姻の解消、すなわち、離婚にあたるとみるのが相当である。

2  「婚姻する意思」の趣旨等について

(一) 民法は、婚姻は届出により効力を生じ(同法七三九条一項)、「当事者間に婚姻する意思がないとき」無効とする(同法七四二条一号)と規定している。この婚姻の効力要件として必要とされる当事者の「婚姻する意思」とは、「当事者間に真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思」をいうとされる(最判昭和四四年一〇月三一日民集二三巻一〇号一八九四頁参照)。

右のように、法律上の婚姻が有効であるためには、届出する意思のほかに、「婚姻する意思」すなわち実質的な婚姻意思ともいうべき意思(以下、「実質的婚姻意思」という。)が必要とされるのは、婚姻が、相互に守操義務を負うとともに、同居及び扶助する義務を負い、婚姻費用を分担し、さらには相互に親族・相続関係を形成するに至るなどの効果を伴う身分変動を生ぜしめるもので、単なる婚姻の予約とは区別された、いわば生活の基盤的部分を新たに形成するからであり、それゆえに、当事者のそれに向けた意思こそが尊重されなければならないからである。そうすると、実質的婚姻意思の内容となる「社会観念上夫婦であると認められる関係(以下、「実質的夫婦関係」という。)」とは、今日、そのあり方が多様化している状況にあるとはいえ、民法上の婚姻の効果として法的に現れているところを考慮すれば、少なくとも相互独占的な性関係を持って同居し、相互扶助する生活関係を伴うものであるということができる。

そうして、身分法においては、とりわけ当事者の意思を尊重しなければならないから、当然、実質的夫婦関係の設定を欲する意思、すなわち実質的婚姻意思が確定していることを要し、それが条件付であったり、不確定のものであったりするのは相当ではないというべきである。

(二)  通常、男女が婚姻届をしようとする場合には、実質的夫婦関係を設定する意思が確定していることが明らかに確認できるような場合がほとんどといってよいと思われる。

しかし、そのような場合でなく、当事者が、特に、届出後一定期間経過した後に実質的夫婦関係の設定をする意思で届出をした場合であっても、その期間が常識的にみて相当であり、期間の経過とともに実質的夫婦関係が形成されることがほぼ確実に予測される状況にあるなどにより、右関係設定に向けた当事者の意思が確定していると認められる場合であれば、その意思を十分尊重して、婚姻の効果を発生させるに値するから、実質的婚姻意思があるというべきである。

(三)  しかし、右のような場合、すなわち、婚姻届出時に、当事者双方とも、将来同居等をして実質的夫婦関係に入る意思は有しているものの、実際に同居等に至るまで一定期間を置く旨の合意をしている場合において、届出時点で実質的夫婦関係の設定を欲する意思が確定しているかどうかを判断するについては、それが内心のことであるため、当事者の合意した期間の長短、挙式、振る舞いその他外形に現れた、その意思の外部的表象とみうる事情から、社会通念により客観的に判断する外はないと思われる。

しかるところ、右期間が、その間に一方あるいは双方当事者が翻意することも予め十分予想されるほどに長期間である場合には、人の意思が時とともに変化することは避け難く、またその変化した意思も身分法上尊重されるべきであるから、このような長期間の場合について、社会通念に従って客観的に判断するとき、実質的夫婦関係に入る意思が当事者間で確定していたと認めることは困難で、実質的婚姻意思があると判断することはできない。もっとも、右期間が長期であっても、当事者間で、その経過を待つ事情やその目的、その他諸般の事情に照らして、将来夫婦関係に入ることに向けた確定的意思の存在を認めるに足りる特段の事情があれば、それらを総合考慮したうえ、確定的な意思を認めることができるのはもとよりのことである。

(四) なお、本件は、宗教や信教に深くかかわった事件であり、統一協会の教義その他の宗教的価値を尊重すべきことは当然であり、教義の解釈にまで踏み込むものではないことは勿論のことである。しかし、本訴で求められているのは、民法上の身分関係の問題であり、その判断基準は民法に準拠し、「社会観念上」の視点に基づかざるをえないことは当然のことである。

そこで、以上の見地に立って、本件につき次項以下に検討する。

3  本件届出時における原告らの婚姻意思について

(一) 前記第三、一に認定の事実によれば、原告と被告は、それぞれ時と場所を異にして、自らの意思で協会に入信・献身して熱心な信者となり、協会の教義を学び、それを実践しようと協会の指示に従って活動していたが、協会の指示を受けて、信者が一つの大きな目標としていた「合同結婚式」(教義上「祝福」を意味する。)に参加したものである。

ところで、「合同結婚式」は、「祝福」を受けるための協会の宗教的教義に則る儀式であるから、その教義に基づく独特の様式によって挙行される。しかし、習俗的な結婚式でもいずれかの宗教宗派の儀式に則って挙行されるのが一般であること、「合同結婚式」で行われた儀式には、我が国の通俗的結婚式にも見られるような様式を備えた部分もあること(予め用意されていたウェディングドレスを着用して儀式に臨み、夫婦となることを誓い、結婚指輪を交換し、記念に写真撮影をするなど)、また、結婚式が社会通念上、夫婦関係に入る前提として行う儀式であり、協会の教義上も、式後いずれ将来夫婦関係に入ることは認められていることなどからすれば、「合同結婚式」が協会の教義に色どられたものであったとしても、通常の挙式と異にするものと解する必要はない。

ただ、前記認定したとおり、協会の教義ないし仕来りから、「合同結婚式」後、少なくとも三年を経過するか、或いはその時点で女性が三三歳に達していなければその歳になるまでは、同居及び性関係を持つことができないとされ、原告らも、これにつき詳しい講義等を受ける前であったとはいえ「合同結婚式」に参加する以上、この程度のことは承知していたと推測される(なお、原告は、「聖別期間」も場合によっては延長され、また、期間経過後も、協会の指示を待って同居に入るとも聞いていた。)。そうすると、原告は、右結婚式当時、二七歳と二三日であったから、右に従えば、原告らが夫婦として同居等するのは早くてもほぼ六年後ということになるし、二人もこれを認識し、教義に従うつもりであったことは明らかである。

以上によれば、原告らは、「合同結婚式」に参加した当時においては、将来の実質的夫婦関係の設定を意欲し、かかる意思のもとに参加したものと解される(もっとも、未だ婚姻の届出もなく、直ちには同居等もする予定のない右挙式時点での当事者の婚姻に関する意思は、社会通念に照らせば、いわゆる婚姻予約の意思に止まることは自明のことであると思われる。)。

(二) 原告らは、「合同結婚式」後、前記第三の二、2、同三、1、2に認定のとおり、「コリア人」としての研修で短期間出会い、話をする程度のことはあったものの、帰国後は遠く離れて生活し、電話や手紙を交換する程度の交流を続けた程度で、社会通念に照らして夫婦らしい交流は全くないままの状況下、突如、協会から婚姻届をするように指示が来て、本件届出をしたものである。

そうすると、本件婚姻届出当時の原告らの実質的婚姻意思は、婚姻の届出という行為を自覚することによって従前の「合同結婚式」当時よりは高められたとはいえ、その実質は、同結婚式当時と同様に、「聖別期間」経過後(約六年後―正確には五年九か月後となる。)の将来、同居等の実質的夫婦関係を設定する意思でのものであったと理解される。

4 「聖別期間」経過後(将来)夫婦関係を設定する合意と婚姻意思について

そこで、原告らの右「聖別期間」の経過を待って実質的夫婦関係を設定するとの合意のもとにされた婚姻意思が実質的婚姻意思として評価できるかにつき更に検討すべきところ、届出後直ちに同居等の夫婦関係に入ることを予定していなくても、右期間の長短その他の事情を考慮して、将来実質的夫婦関係に入るとの確定的な意思を有しているのであれば、当事者の実質的婚姻意思を否定することはできないと解されることは前説示のとおりであるから、右見地に立って本件につき検討する。

(一)  原告らが同居等実質的夫婦関係を設定するのは少なくとも原告が三三歳に達する約六年先であった(実際にも、原告らと同様に「六五〇〇双」の「合同結婚式」に参加しかつ「コリア人」とされたもので、その後同居するに至っている事例には、女性が三三歳に達している場合が多数例見られる。―〈書証番号略〉)ところ、右期間は、社会通念に照らせば、一旦夫婦になることを合意した男女が、実際に同居等現実の夫婦関係を設定するまでの期間としては、極めて長期間で、他の具体的事情を捨象すれば、このような長期間をおいての将来に実質的夫婦関係を設定するとの婚姻意思をもって確定的な婚姻意思の存在を肯定するのは困難なことと解される。

もっとも、協会の教義によれば、その長短に質的な意味があるわけでもなく、また、原告らは、お互いに熱心な信者であり、教義や協会の指示に従順な姿勢であったので、指示された時期が六年先であっても、やはりそれに従うつもりであったと窺われるし、多くの信者達が長い「聖別期間」後同居等に至った先例があることからすれば、主観的にも客観的にも同居等を確実に予定していたと解される余地がないではない。

しかしながら、将来右の指示が確実にされるという保証はなく、協会への献身の実績次第では指示が延長されることもあって、時期的にも不確定である(証人八田、同浅見)。加えて、約六年という長期間の間に、原告らの協会に対する信仰心自体に変化がないとはいえず、前提となっている信仰心が崩れてしまえば同志とともに同居生活を送ることに対する気持ちも変化することも予想され、現実にも、原告を始め多くの信者が救助活動等によって、このような変化をたどっているし、仮に信仰に無関係に考えても、夫婦関係が男女の愛情(感情)を基礎とする以上、当然気持ちが変化することは考えられるところである。

実際上も、前記「六五〇〇双」の中にも同居に至った事例と至らなかった事例があり(〈書証番号略〉以下の証拠、原告・被告本人)、中には、同居に至らないまま相対者を失い、再度「合同結婚式」を行った事例もある(〈書証番号略〉、証人浅見、同八田)ことなどを考慮すると、同居に至った場合と至らなかった場合のいずれが通常であるとも言い切れないし、そうである以上、将来同居により実質的夫婦関係を実際に設定するか否かは不確実なものであると解せざるをえない。

(二)  前記認定判示のとおり、原告らは、それぞれ自ら希望して「合同結婚式」に参加し、そこで初めて相手方と出会ったのであり、それ以前には全く面識がなく、式後にも、互いの身上等を話し合う程度で実質夫婦として心を分かち合う会話をするなどの関係には至ってなかったから(原・被告本人)、「合同結婚式」を済ませた時点での当事者の気持ちとしては、前述のとおり、宗教上の儀式を終えたのみで社会生活上通常観念される夫婦であるという実感は未だ持たず、将来右の意味における夫婦になるという気持ち(いわゆる「婚姻予約」の意思程度のもの)であったことが容易に窺われる。また、当事者間には、儀式的な挙式を終えた事実以外に実質的夫婦関係を外部に表象するものはほとんど存在しなかったから、右挙式の時点においては、当事者間に確定的な実質的婚姻の意思がなかったことも明らかである。

そして、その後原告と被告とが夫婦関係にある者同志としての十分な意思の疎通を図るような機会を持てない状態のまま、協会の指示で突如本件届出をしたことについては前述のとおりである。

右のとおり、「合同結婚式」後本件届出までの間に、当事者間の婚姻的環境への変化・進展はほとんどなく、また、主観的、心情的に右の関係が質的に変わり、その関係を深めていったと認められる状況もなく、依然として、式を通じて知り合った同志にとどまり、将来確実に実質的夫婦関係を設定する気持ちが固まったというほどの事情は窺われない。すなわち、本件届出時に至っても、当事者の関係は「合同結婚式」の時点における主観的、客観的状況(婚姻予約的状況)とさして変わりのないもので、実質的婚姻意思を確実化させる方向への進展は、本件届出という事実以外にはほとんど存在しなかったものと判断される。

(三)  しかも、右届出についてみるに、前認定のとおり、協会においては、「聖別期間」経過後同居する前に、「家庭修練会」と称する研修で婚姻届や「三日儀式」についての指示・説明を行い、その上で、信者らは右指示等に従って届出をし、肉体関係を結ぶのが建前であり通常であったのに(証人八田、原告本人)、原告らは、「聖別期間」経過前に、本件届出を出すように指示されている。

しかし、原告が婚姻届出や「三日儀式」の指示を受ける一方で、同時にあらためて「聖別期間」の説明も受けていることから明らかなように、本件婚姻届出によっても、「合同結婚式」から始まった原告らの「聖別期間」が解消されたわけではなく、これが引き続き存続し、同居できない期間が継続したことは自明のことであり、原告らもこれを認識していた。

そうすると、原告らが右時期にあえて婚姻届を提出したのは、前認定の事実によれば、原告らが「コリア人」とされ駐韓して献身活動するにつき、一方に生じた事故その他の処理を他方ないし協会で処理することが便宜であるため、並びに、当時協会信者に対するその家族による救出活動が活発化して人身保護請求がされるなど社会問題化していて、原告の家族も救出を試みていることを協会が察知していたことから(〈書証番号略〉)、被告に法律上配偶者という地位を与えて救出に対する対抗措置を図る便宜のためという目的に基づくものであり、かかる意図・目的に基づく協会の指示によって、とりあえず本件婚姻の届出がされたことが明らかである(このことは、同じ協会信者の八田香代子の証言に表れた同女の家族の救出活動、これが協会に知れて後の届出指示などの経緯や浅見証言に照らしても推認しうる。)。右以外に、特にこの時点で届出をすべき事情や必要性は見当らない。

右のとおり、原告らの間に「合同結婚式」後夫婦としての交流も実質的な夫婦関係の発展もなく、同居等も間近に迫っているわけでもない段階で、便宜的な目的のもとに本件婚姻届出がされたものであり、しかも、当時他に届出を必要とすべき事情もなかったことからすると、専ら右便宜の目的のみでされたことも明らかで、その目的を原告ら当事者も十分認識していた状況下にあったことからすれば、本件届出が原告らの実質的婚姻意思の確実化を表象・具現したものとはいえないし、その意思の確実化のためにされた行為でもなかったことが明らかである。

(四)  ところで、本件婚姻の届出後、同居等実質的夫婦関係設定が将来のこととなり、それまでに約六年の期間を要したのは、結局、原告らが信仰する協会の教義上遵守すべき事項として「聖別期間」が設けられていることに起因するところ、原告らにとっては、右期間が信仰上重要な意味を持つものであったから、これが直ちに実質的夫婦関係に入ることのできなかった主たる原因であった。したがって、たとえ六年後の右関係設定であっても、原告らにとっては、信仰上の教義に基づく不可欠の期間であったから、これが実質的婚姻意思の確実性の障害とみるべきではなく、むしろ、確実性を認めるに足りる特段の事情とする見解もありうるし、被告もその趣旨を主張する。

しかし、本来、協会においては、同居直前での婚姻届出を指示するのが通常のことであり、それが協会の婚姻関係の教義や実体と合致する相当な方法と考えられるところ、右に反して本件においては、前判示のとおり、便宜的な目的によって実体を伴わない時点で本件届出がされ、それ故に婚姻届出(「合同結婚式」ではない。)をしてもなお長期間経過後に実質的夫婦関係を設定せざるを得ないという状況が作出されたものと見ることができる。このような経緯によって届出も存続することになった「聖別期間」の存在をもって、将来にもかかわらず実質的婚姻意思の確実性を肯認しうる特段の事情とみることは相当ではない。本件には他にかかる特段の事情と認めるに足りる事実はなく、右主張は採用できない。

(五)  なお、原告らは、本件届出後、夫婦として双方の両親に婚姻の報告をし紹介をしているが(前記一の4の(一))、協会に反対する親に対してこれらをしたからといって、これにより親の救出したい気持ちを削ぐ効果をもたらすことは別として、これによって実質的夫婦関係を確実に設定する原告らの意思の外部的徴憑と解することはできない。

また、原告らは、婚姻届出以前に「三日儀式」を行うよう指示され、届出後そのとおりに儀式を行って性関係を三日間持っている(前記第三、三の3、四の2)。

しかしながら、協会においては、「三日儀式」は、通常「聖別期間」経過後で同居等実質的夫婦共同生活に入る前に行われる仕来りになっていたにもかかわらず、原告らのように韓国に在住予定の「コリア人」については、特別に「聖別期間」経過前であるにもかかわらず、右渡韓前に右儀式を行うよう協会から指示されていたこと(証人八田)、原告らは本件届出前に「聖別期間」の説明とともに右指示を受けたことから、「三日儀式」がその後直ちに同居等を予定したものでないことを予め十分認識していたこと、原告らは、その指示に従い、教義通りの形式で三日に限った性関係を持ったにすぎないことなどからすれば、原告らは社会通念上の夫婦間に認められるような夫婦としての継続的、独占的性関係を持ったものではなく、協会の指示に従って、宗教上の儀式として性関係を持ったに止まるものと認められる。したがって、本件婚姻届出当時、原告らが「三日儀式」すなわち性関係を間もなく持つことを予想しつつ届出したとしても、そのことが、特に原告らの夫婦的関係の深まりを示し、将来の夫婦関係の設定が確実であったと認めるに足りる証左となるものではない。

(六)  以上を総合考慮すると、本件届出に際して、原・被告において将来(六年先)実質的夫婦関係を設定する趣旨での婚姻意思は有していたものの、その当時、挙式と届出以外に、同居、相互扶助・協力等実質的夫婦関係の形成を窺知しうるに足りる客観的状況もなく、主観的にみても、未だ実質的婚姻意思が確定的であったとは考えられないから、当事者に婚姻の予約意思以上のものがあったとは判断できない。

5 以上のとおり、原告と被告の、本件婚姻届出時の実質的婚姻意思を確定的なものと認めるに足りる事情は窺われず、本件届出当時有効な婚姻意思はなかったというほかはない。

三「婚姻する意思」の追認(争点3)について

次に以上のとおり本件では婚姻届出時に婚姻意思が認められず、その婚姻が無効であったこととなるから、その後、右意思の追認によって婚姻が有効となるに至ったかどうかを問題とする余地があるので以下に検討する。

1  当事者の主張

(被告の主張)

仮に婚姻届出時に原告らに実質的婚姻の意思を欠いていたとしても、本件届出は、原・被告は「三日儀式」を済ませ、お互いに気持ちを交流して婚姻意思を高め合い、他人にも夫婦として振る舞うなど、肉体的・精神的結合を強めたもので、これらにより実質的婚姻意思を確実に保持するに至ったから、婚姻届出時の右瑕疵は追認されたものとして評価しうる。本件は、たまたま、原告が信仰を捨てた結果、婚姻生活の途中で解消を余儀なくされたにすぎない。

(原告の主張)

無効な婚姻も追認によって有効となることがあるが、届出時に遡って有効となる以上、少なくとも届出当時に夫婦としての実質的生活関係の一部が存在していなければならない。

しかし、本件では、本件婚姻届出当時、原告らは「聖別期間」中で、同居していなかったことはもとより、遠隔地等で別々に協会活動に従事していて、性的、生活的共同体の形成も全くなかった。単に相互の手紙等の交換をしていたが、それも信者として活動意欲を高め合うものにすぎず、双方の関係が夫婦としてのものに質的に変わったものではない。また、婚姻届出後においても、性関係は「三日儀式」で持ったに止まり、それも宗教上の儀式としてのそれにすぎない。さらに、そもそも協会員には、夫婦として共同生活するだけの経済的基盤がなく、協会の指示なく二人で共同生活することは考えられない。

原告が被告に婚姻の解消を申し入れたときも、被告は婚姻意思がなかったことを認め、婚姻を無効とすることに同意している。

2  一般に、婚姻意思を欠く無効な婚姻であっても、当事者がこれを追認するときは、右追認により婚姻届出の意思の欠缺は補完され、婚姻は当初に遡って有効となるものと解される。なぜなら、追認に右の効力を認めることは、当事者の意思に沿うもので、実質的生活関係を重視する身分関係の本質に適合するばかりでなく、これによって、第三者の利益を害されるおそれも乏しいからである(最判昭和四七年七月二五日民集二六巻六号一二六三頁参照)。したがって、届出当時、実質的婚姻意思を欠く場合であっても、後日届出に対応する夫婦としての実質的生活事実が実現され、かつ無効の届出を追認する意思が明示あるいは黙示的に示されるならば、その届出に対応する有効要件が完備したものとみて、届出当時に遡及してその身分行為が有効にされたものとみるのが相当である。

3  本件では、前記認定・判示のとおり、婚姻届出当時、届出意思は瑕疵なく認められるが、確定的な実質的婚姻意思の充足が欠けていたのであるから、その後実質的な婚姻意思が確定的なものとなって、無効な婚姻届出が追認されるに至ったか否か、すなわち届出後、当事者が確定的な実質的婚姻意思を具備するに至ったと認める事情が存在するか否かについて検討すべきことになる。

(一) ところで、原・被告ともに、本件届出後も、協会の熱心な信者として活動を続け、協会の指示及び教義に従うことを優先する姿勢に変わりはなく、一応約六年後に予定されていた「聖別期間」の経過を待っていたことは前記認定のとおりであり、婚姻届出後、原・被告が、あえて協会の教義に反し、夫婦として同居し、性関係を持ち、相互扶助しながら共同生活を行うなど社会通念上観念される実質的夫婦関係に入った事実は何ら認められない。かえって、前記認定の事実によれば、原・被告は、容易に面会もかなわないような遠く離れた別々の場所で起居して協会に献身し、協会のために一日中活動して居住、食事等もすべて協会の指示・指定に従った生活をしており、原告らが使用できる現金は協会から支給される僅かなものに限られていた(〈書証番号略〉、原告本人)ことなどからすると、経済的のみならず全ての面において自立して二人で共同生活を営むことができた状況になかったと認められる。

(二) 被告は、原告らが知人間では夫婦として振る舞い、妻、夫と紹介し合っていたこと、愛情を示す手紙等の交換、「三日儀式」で性関係を持ったことなどを、実質的婚姻意思が存在するに至ったことを表象する事実であると主張する。

しかしながら、右の各事実は、相互に関係が以前より深まったことを窺わせるものではあるが、同居して相互に扶助しながら共同生活を現実に行うという実質的夫婦関係の核心部分から離れた事柄ともいえるし、現実に、原告らが右同居等に至っていない以上、社会通念から見て実質的な夫婦関係があると見ることは到底できず、婚約関係と質を異にする変化があったということはできない。したがって、右主張の各事実をもって本件婚姻の意思を追認できる事実と解することはできない。

なお、男女間において性関係を有することが、社会観念上、夫婦としての結合の目安であることは否定できないが、無効な婚姻を追認したと見られるような性関係は、実質的な夫婦関係の存在を示す程度に継続的なものであることを要すると解されるところ、本件において、原告らが持った性関係は、宗教上の儀式としてのそれである上、三日間という極めて短期間に限定されたものであり、夫婦間において通常想定される継続的な性関係を持ったものとは到底いえない。したがって、原告と被告が性関係を持ったことがあることのみを強調して、社会観念上の実質的夫婦関係があったとみることはできない。

(三) また、原告は、被告との関係を解消するため、まず、婚姻の有効を前提とする離婚を申し入れた(前記第三、五の1)が、これは原告が被告との関係を早く解消したいと考えて、その限られた法的知識の範囲内でとられた手段にすぎず、その後専門家である弁護士とも相談・検討して、婚姻の無効を主張するに至ったものであるから、原告が当初離婚の申出をしたことをもって、無効な婚姻を追認したと見ることはできない。

かえって、被告においては、原告と別れること自体は十分了承したうえ、当初は離婚による離別を要請していたものの、その後、代理人の説得があったとはいえ、自ら原告の婚姻無効の主張に同意し、無効とする調停成立や審判結果を意図して、調査官や自己の弁護士に対して、自分たちの届出が「婚姻の予約」のつもりであった趣旨の意見・陳述をしていることが認められる(〈書証番号略〉)から、被告自身は本件届出による婚姻が無効であることを自認していたとも認められる。

その他に届出後、原・被告が確定的に実質的婚姻意思を有するに至ったと認定しうる証拠はない。

(四) したがって、届出後に実質的婚姻意思が確定的になったということはできず、無効行為の追認としても本件婚姻を有効とすることはできない。

(裁判長裁判官川本隆 裁判官永松健幹 裁判官桑原直子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例